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しばらくして、部屋を出ていったヒュウガが老紳士を連れて戻ってきた。
その間も襲撃犯の男は目を覚ます気配が無かったので、凶器となりそうなものは念の為取り除いておいた。
レインが苦笑いしながらヒュウガに話しかける。

「ヒュウガ………お前どれだけ強く殴ったんだ?」
「まだ目を覚まさないのか。あの程度でこの有様とは…修練が足りないようだな」
「貴方の言う事も一理ありますが、銀樹騎士団でもトップクラスの実力者と比べては、彼が気の毒ですよ」
「……そうか」

ニクスはヒュウガが連れてきた紳士に近づいて、恭しく礼の形を取った。
白髪の老紳士は微笑を湛えるニクスと正面から向き合った一瞬、複雑な表情を浮かべる。
怒りとも哀しみともつかない、どこか遠くを見るような瞳。
ニクスはその意味を正しく理解しながらも、あくまで丁寧で他人行儀な言葉を紡ぎ出す。

「ご足労頂き、ありがとうございますムッシュ。此方にお招きした理由は既にお察しの事でしょうが……」
「…いくつか君に問い質したい事がある。何故そこの男を庇うような真似をした?」
「ええ、そのつもりでお呼びしたのですよ。庇った理由は、前途ある若者を巻き込むには忍びなかった事と、彼が私の命を狙う個人的な動機を知りたかった為、この二つです。貴方はあのような手段に訴える方ではないはずですから…もっとも、貴方が私の祖父の言葉通りの方であれば、の話ですが」

ニクスの生きた歳月の長さを知るレインとヒュウガは、彼の言う『祖父』が、他ならぬニクス自身だと悟る。
そして彼の命を狙っているらしい目の前の老紳士は、彼が昔親しくしていた人物なのだろうとも。
新政府に不可欠な人だからではなくかつての友なればこそ、穏便に済ませたいのだろう。
どこの誰が思うだろうか?
かつての親友が、若い頃の姿とほとんど変わらないままで、今目の前で話をしているなどと――
二人は先ほどニクスが浮かべていた寂しげな微笑に、彼が抱える心の傷の深さを見た気がした。


「うっ…」

小さな呻き声がしてベッドの方を見ると、男が意識を取り戻していた。
彼はしばらくぼんやりと部屋の壁を見ていたが、視界に居るニクスに気付くや否や憎しみの籠もった目で睨みつけた。
ニクスは男の鋭い視線から目を逸らす事無く、真っ向からただ静かに受け止める。
緊張した部屋の中で、男が暴れ出さないように警戒するヒュウガが口を開く。

「………お前が俺達にも話しておきたい事というのは、先程言っていたヨルゴに関する事だろう?」
「まさか、それがニクスが命を狙われる原因なのか?!」

紳士を連れてくる際に、その事について話したのだろう。
ヒュウガの言葉に、今度はレインが真剣な顔でニクスに詰め寄る。

「……ええ。毒を盛られるようになったのは、確かに私がヨルゴ氏と接触するようになってからです。大方私が女王陛下に対し、よからぬ事を企んでいるとでも思われたのでしょう、お二人とも?」

ニクスが老紳士と襲撃の実行犯となった騎士に話しかけると、騎士は震える拳を握り締めて唸るように言う。

「財団は、俺の家をメチャクチャにした……小さい時の大事な思い出が沢山詰まっていた、家族との唯一の接点だったあの家を………」
「確かお前は、ウォードン出身だったな…」

ヒュウガが確かめると、男は頷いて話を続ける。

「新しい財団理事になってからは、大分マシになったようだがな………だからそこに居る新理事はどうだっていい。許せないのは、前の財団理事と接触してあれこれ動き回っている貴様だ!ヒュウガ殿や騎士団長からも一目置かれていながら…何より女王陛下と共に戦った者でありながら、何故あんな男と関わっている!!?」

話す内に怒りが抑えきれなくなったのか、声が次第に大きく荒いものへ変わっていった。

銀樹騎士はまだ幼い内に才能を見出され、教団本部のある聖都セレスティザムへと連れてこられる。
いずれは女王の剣としてアルカディアの人々を守る一人前の騎士になるべく、徹底的に教育されるのだ。
今は聖騎士となったヒュウガも、そのようにして育ってきた経緯がある為、男の気持ちは痛い程理解できた。
家族との思い出が、どれ程尊いものであるかも………
しかし目の前の男と違い、彼が女王陛下―アンジェリーク―を裏切るような事は絶対に無いと確信してもいた。
だからこそ、財団理事を退いたヨルゴの事を聞かされた時も、ヒュウガはニクスを信頼して何も訊かなかった。
それでも白髪の紳士を連れてくる際、ニクスがヨルゴと関わっている事について聖騎士としてどう思うのかという質問に対して、正直に「納得のいく説明をして欲しいと思っている」と答えた気持ちに偽りは無い。
ヒュウガはニクスを責めも庇いもせず、彼の言葉を待つ。

一方、様子を見守るレインも気が気ではなかった。
目の前の騎士が言っているのは、財団が行ったアルティマ計画の時の事。
その時オーブハンターとして陽だまり邸で暮らしていたとはいえ、計画の事を知りながらレインに出来たのは、犠牲が少しでも少なくなるようにと、次元の亀裂の出現場所の予測精度を上げるのに協力する事くらいだった。
それですら、余計な犠牲が無くなる訳ではなかった。
現在新財団理事としてレインが多忙を極めているのも、そのアルティマ計画の爪痕から各地を復興させる為だ。
まさか仲間が命を狙われている理由が、自分の兄と関わっているせいだとは……どうにもやり切れない。
彼がヨルゴと協力して成そうとしている事が、女王となったアンジェリークに害となるようなものでは決してないと確信してはいる。
だからこそ、仲間である自分たちにちゃんと説明して欲しいと思う。
レインは何も言えず、ただニクスが口を開くのを待った。


室内にしばしの沈黙が流れた後、大きく息を吐いて老紳士がニクスを促す。

「君があの男と何をしようとしているのか、聴かせてもらおうじゃないかニクス君……」
「ありがとうございます、ムッシュ。皆さんもご存知の通り、女王陛下が即位されてから今日まで、アルカディア各地で様々な変化がありました」

年中雪に覆われた聖都に春が訪れた事、アルカディア中に季節が巡るようになった事、教団と財団の力関係が一転した事など。
しかし今問題なのは――と、ニクスは一呼吸置いてから再び話し始める。

「長年タナトスの脅威に脅かされてきた為、ようやく誕生した女王に精神的に依存し過ぎる人が多い事です。実際女王陛下のお力を持ってしか、タナトスの問題は解決できはしなかったのですが……自分たちの力で何とかしようという気概が、人々から失われつつあるような気がしてならないのですよ」

以前は財団がそういった人々を奮い立たせていたが、ジンクスやアルティマ計画によって財団は信頼を失った。
そして女王が誕生した事が、人々の財団離れに拍車をかける結果になった。
新聞でも財団の過去の不祥事が次々と白日の下に晒され、酷いものだと根拠の無い噂をさも真実であるかの様に記事にするところまで出ている始末である。
教団側でも、有力者の中にはここぞとばかりに台頭し、アルカディアの人々を女王に依存させ、自分たちに有利に働くよう煽動する者も現れ始めた――もっとも目の前の老紳士は、それを抑制しようとしている人間だが。

ともかく報道が煽り立てた結果として、容赦の無い非難が財団に集中しているわけだ。
そんな傾向に歯止めをかけているのが、女王アンジェリークの遠縁にあたる新聞記者のベルナールである。
彼はあくまで公正に物事を見極め、出所の明確な報道をしながら、理事が交代した後の財団を正当に評価し続けている。
現在のアルカディアで最も信頼できる報道をする人物として、教団においても彼の記事に対する評価は高い。
実はレインがニクスのように命を狙われなかったのは、それが背景となっていた。


「私たち陽だまり邸でオーブハンターとして暮らしていた者は、即位前の陛下を存じていますが……彼女は頼りにされると自らの身も省みず、嫌な顔一つせずに引き受けてしまう程心優しい女性です。それ故に、人々からの要求に出来る限り応えようとするでしょう。だからこそ心配なのですよ……いつか限界がきてしまわないかと」

だからこそ、自分たちが生きている間に出来る限りの事をしたいと思った。
世界の調和を保つ女王の代わりは誰にも出来ないが、一人一人が出来る事があるのだと、アルカディアの人々に気付いて欲しかった。
ニクスが新聞というものに出会った時、期待したのはつまりそういう事だ。

「ヨルゴ氏が財団理事として行った所業の手前、表立って動くわけにはいかなかったのですが…私たちが水面下でしようとしているのはアルカディアにおける財団の信頼回復と、女王陛下の手助けとなる教育研究機関の設立なのです。これはカルディナ大学と異なり、専門的な技術者や研究者を更に育てる為のものです」

迷いの無い瞳ではっきりと告げたニクスに、レインが驚きを隠せない様子で問いかける。

「どうして今まで、俺にも説明しなかったんだ?」
「新しい財団理事として人々の矢面に立つレイン君にとって、今はただでさえ大変な時でしょう?」

彼からもレイン君に話さないよう釘を刺されましたからね…と、小さく笑ってニクスは答えた。
黙って彼の話に耳を傾けていた老紳士は、難しい顔のまま口を開いた。

「……私に、それを信じろと言うのかね?」
「信じる、信じないは貴方方のご自由に。ですが、これだけは言わせて下さい」

他の人間と異なる時の流れに身を置かねばならない苦しみを、このアルカディアで最も知る者として、これからのアンジェリークの行く末を思うと、どうしても言わずにはいられなかった。
自然とニクスの表情は引き締まり、紡がれる一言一言が重みを持つ。

「私たちがこの世を去った後も、彼女は女王として悠久の時を生きていかねばならないのです。一人の少女としての彼女を知る者が、誰一人居なくなった後も……………ね。陛下が即位された時、教団長様が公開なさった伝承の事を覚えていますか?『やがて時が過ぎ、星の廻りが女王の交代を告げるだろう。役目を譲り渡した女王は、再び一人の人間としての時の流れに戻るであろう』と。知る者が居ない世界に放り出される孤独がどれ程のものなのか、貴方方に想像できますか?」
「ニクス、お前………」

どこまでも真っ直ぐなニクスの瞳からは、迷いが感じられなかった。
心底アンジェリークを想って言っているのだと、レインにもヒュウガにも分かる。
彼の言葉に、それまで静かに話を聴いていたヒュウガが動いた。

「女王陛下に忠誠を尽くす聖騎士の名にかけて、俺…いや、私はニクス殿を支持しよう。彼は決して陛下を裏切るような真似はしない。そのような事があれば、私がこの手で斬ると誓おう」

厳かに告げられた言葉に、老紳士は静かに目を閉じて言った。

「………聖騎士の称号がどれ程の重みを持つのか、私は知っています。その貴方が言うのなら、彼の言葉に偽りは無いのでしょう」
「ヒュウガ殿……」

男もヒュウガの宣誓に驚いているようだったが、紳士と同じ意見らしい。
それを悟ったニクスは、柔らかく微笑んで手を叩く。

「さあ、皆さん。舞踏会がお開きになる前に、会場に戻りましょう」

ニクスを襲った騎士を除いてこの部屋に居る者は皆、舞踏会で多くの人間と接する必要がある立場なのだ。
いつまでも会場を離れている訳にはいかなかった。
その事に気付いた男は、ニクスの前に出て土下座して謝り始めた。

「ニクス殿、本当にすまなかった。俺は………」
「いいんですよ。私はこの通り無事ですし、貴方のお気持ちも理解できますからね」
「私やその騎士殿の事はどうするつもりかね、ニクス君?」
「今後命を狙うような事をなさらなければ、全て水に流しましょう。私はまだ、死ぬ訳にはいかないのでね」

にっこりと答えるニクスの笑顔に、老紳士は懐かしそうに目を細める。

「君は本当に彼に似ているな………まるであいつと話をしているようだよ」
「……………そうでしょうね。私は祖父に瓜二つだそうですから」


こうしてニクス暗殺未遂事件は終焉を見た。
この時は新たな問題が起こるなどと、誰も予想だにしていなかった。
――唯一、アルカディアの宇宙意思を除いては……………………


2007.7.1 UP